夫が亡くなった日。
夫が亡くなったのは3月でした。
職場結婚だった私たち。
夫は私の上司でした。
3月は繁忙期なので、あぁ、疲れてるんだなと軽く受け止めていました。
亡くなる前日。
11時ごろに帰ってきてからずっと、寝室のテレビはつけっぱなしでした。
話しかけてもなんだかしんどそう。
疲れてるのかな…と思ったのですが、今振り返れば、
この時から体調がよくなかったのだと思います。
亡くなった日。
私も夫も5時半に起床。夫はそのままシャワーを浴びました。
だけど、いつもよりシャワーの時間が短い。
シャワーから戻った夫に話しかけても返事はなく、
疲れている様子で寝室に戻りました。
そのあと、ちょっとせき込んだので、様子を見に行き、声をかけると反応がない。
意識を失っていました。
すぐに119番をし、心臓マッサージをしながら、救急車の到着を待ちました。
6時30分くらいでした。
驚いた子ども達に状況を説明し、救急隊の方が処置をしてくださっている間に
私は着替え、子ども達はパジャマのままで、救急車に乗りました。
搬送先が決まるまで、本当に長かった。
くしくも搬送先は、息子達を出産した総合病院でした。
夫が処置室に運ばれてから数十分後、私は診察室に呼ばれました。
くも膜下出血を起こしていること。
苦しくなる前に意識を失った可能性が高いこと。
呼吸も不安定で、これ以上蘇生処置をしても、夫に負担をかけること。
次、心臓が止まったら、延命は終了したいこと。
頭が真っ白でしたが、夫は生きられないことだけははっきりとわかりました。
説明の際に見せていただいたCT写真は、記憶にありません。
「わかりました。」私はわけもわからず、答えました。
子ども達にどう伝えよう。
夫の会社にも連絡しなきゃ。
義父母、私の母にはどう説明したら…
とりあえず、夫の職場には迷惑がかかると思い、真っ先に連絡しました。
そのあと、義父母、私の母に電話で連絡。
泣きじゃくる子ども達にパパが死んでしまうことを説明した後、
看護師さんとも話をし、最期は私一人で、看取ることにしました。
今考えると、恐ろしく冷静でした。
でも、うまく息をすることができませんでした。
そして、8時前、私は夫を看取りました。
倒れているのを発見してから、わずか1時間半の出来事でした。